震災被災地状況


(続)真空管ラジオ修復記 > 震災被災地状況

東日本大震災の災害に遭われた方々には、心よりお見舞い申し上げますと共に、一日も早い復興をお祈り申し上げます・・・。という、何処でも同じ様な言葉だけではなく、僕は実際にお手伝い出来る事をと思い、震災から1ヶ月後に実際の被災地を訪れ、岩手県釜石市の避難所の運営支援をさせて頂きましたので、ご報告致します。


実際にお手伝いしたのは、釜石市の市民体育館です。その内部の様子は、こんな感じです。


津波の被害に遭った釜石市市内の様子です。電柱がなぎ倒されています。


港には、大型の船が乗り上げているではないですか!映画の世界ではありません。これが現実です。


家が流されて来て、ひっくり返っています。こんな光景を生で見ることは、もう2度と無いでしょう!(無い事を祈ります!!!)


大槌町では、大規模な火災が発生しています。


津波と火災で、大槌町の現場は戦争の空襲に遭った場所の様です。(空襲の跡は、生では見た事はないですが・・・。)


我々の避難所に、蓮舫行政刷新担当大臣が視察に訪れました。


避難所にも桜が満開に咲きました。本当の意味の春は、まだまだ先となりそうです。一日も早い復興をお祈りします。

 被災地を直接訪問し、大変貴重な体験をさせて頂きました。現在は支援物資は十分過ぎる程届いておりますので、今後は物資面より仮設住宅などの建設を急ぐべきだと思います。
 支援物資も、ガスが復旧していないので、炊けない米が大量に有ったり、避難者は200人以上も居て電気ポットでしかお湯が沸かせないのに、カップラーメンが大量に有ったりと、せっかく送っていただいたのに、すぐに使えない物資ばっかりです。必要としている所に、必要としている物資が届いていない感じです。物資を送る側も、考えて送りたいものです。
 すべてが混乱している中、運営するのも、被災者の方々も大変です。現状を少しでも理解して欲しいと思います。


その後、震災から1年2ヶ月が経過して、再び釜石市を訪問する機会がありました。


僕が避難所支援を実施した釜石市民体育館には、仮設住宅の団地が出来ていました。


3枚目の写真の船が乗りあがっていた場所は、船も建物も撤去され、堤防の壊れた部分がその当時の場所を物語っていました。


津波避難場所から見た市内の様子。復興している建物も有れば、更地のままの場所もあります。


駅前には復興の鐘が建てられていました。


釜石駅には、SLのD51、498号機がやって来ました。


撮影したSLの動画です。


その後、震災から2年1ヶ月が経過して、再び釜石市を訪問する機会がありました。


私が避難所支援をお手伝いした、釜石市民体育館は、残念ながら取り壊されて更地になっていました。高速道路建設の立ち退きの住宅になるみたいです。周りの仮設住宅は、相変わらずでした。


大槌町役場は、被災当時のままの姿でした。私が見た震災直後と比べると、周りはかなり更地になっていましたが、ここだけは当時のままです。


大槌町復興仮設商店街もがんばっていました。一刻も早い復興を陰ながら応援しています。


誠文堂新光社から2007年11月16日に発売の「真空管ラジオ製作ガイド」と、2008年12月17日発売の「ゲルマラジオ製作徹底ガイド」と、2009年10月22日に発売の「真空管レフレックスラジオ実践製作ガイド」と、CQ出版社から2010年4月19日発売の「CQハムラジオ」の一部を執筆させて頂きました。是非とも1冊ご購入をお願いします!

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